#87 旅行記⑫ (マドリッド編、ちょこっとスペイン史)
(追記)2020年3月5日一部写真を追加。
MBAの同期から、マドリッドダービー(レアルマドリッドVSアトレチコマドリッドのサッカーの試合)があるから、見に行かないかとお誘いをいただき、今しかない機会だしその場で即決して急遽マドリッド行きが決まった。笑
バルセロナとマドリッド、日本でいうと東京と大阪みたいなものか。大阪に住んでるけどちょっと遊びに東京へといった感じ(飛行機で1時間、電車で2時間半というのも全く同じ)。野球で例えるなら、大阪にいる外国人で普段は阪神ファンだけど、日本にいるんだからジャイアンツの試合も見たいよねーみたいな?
もともとマドリッドとその近郊都市には行きたくて、計画を温めていたので、急ではあったが今回その計画を一部改良して、旅立つことにした。なお、2泊3日。
・プラド美術館 (後述)
・ソフィア王妃芸術センター (ピカソの「ゲルニカ」が有名。ただし写真撮影不可。)
・ティッセン・ボルネミッサ美術館 (ドガの「緑の服の踊り子」やマネの「乗馬服の貴婦人」が有名)
さて特にプラド美術館に関しては、ちょこっとスペイン史とともに、少し説明しておきたい。以下の書籍を読んでみたが、今まで自分の中で断片的にしかなかったハプスブルク家の知識と世界史の知識がカチッと組み合わさる感じがしてとても面白かった。
特にスペイン・ハプスブルク家に関してはほとんど知らなかったので、非常に役に立った。以下、この本で印象に残ったところと、プラド美術館の話を書いていこうと思う。
残念なことにプラドは写真撮影禁止なので、作品に関してはリンクを付けたので、そちらを参照してもらいたい。
参考書→名画で読み解くハプスブルク家12の物語
そのイザベルとフェルナンドの子供が、フアン(男)とファナ(女)。そして、ここに目を付けたハプスブルク家のマクシミリアン1世が、フアンに対して自分の娘マルガレーテを、ファナに対しては自分の息子フィリップをそれぞれ嫁がせた。なんと二重結婚w
ハプスブルク家といえば、言い方は悪いがしゃくれ顔と鷲鼻に特徴がある。これは血の純潔さを極度に求めて、近親結婚ばかりしていた影響といわれている。ただ、ファナの夫になるフィリップは美公と呼ばれるほどイケメンだったらしい。参考画像はこちら。
最初はラブラブ?だった夫妻も、フアンの急死やイザベルの死、さらにはファナの父フェルナンドと夫フィリップの対立、さらには夫婦仲の悪化などでファナは精神を病んでいく。結局ファナはフィリップに先立たれてしまうが、なんと夫の死骸に防腐剤を詰め込み、従者に棺を運ばせて、夫の復活を信じて長期間にわたってスペイン中を徘徊したんだとか・・・そんな時に書かれたのが、「ファナ・ラ・ロカ(狂女ファナ)」である。
カールは成長するに伴い、様々な要職に就きヨーロッパ史上最多70の肩書きを持った。(神聖ローマ皇帝、スペイン王、ハンガリー王などなど)
カールは40年の現役時代、ひたすら戦争に明け暮れたものの、それを維持するだけの体力が国にはあった。というのも、この時代スペインは大航海時代の真っただ中で新たに支配した中南米から莫大な資金調達を行っていたからだ。
ただ最終的には戦争による疲弊等で、自身で引き際を見定め、引退して我が子にその位を譲ることになる。
当時、こういった引退宣言は珍しかったらしい。そういった意味で、カールはある意味、優秀な王だったのかもしれませんね。
そんな、カールの肖像画がこちら。
ちなみにこのフェリペは非常に慎重派で、政務も全部自分一人で行わないと気が済まずにとにかく猛烈に働いたらしい。
しかし絶頂は転落の始まりで、スペインはここから転落し始める。要因の一つ目はイギリスとの関係。フェリペは妻との死別によって何度か結婚を繰り返すが、その中で一度イギリスのエリザベス1世を狙ったことがあった(ただ、振られている)。その後、フランス皇帝の娘やその後のフェリペ3世を出産する女性と結婚するがいずれも死別している。最後はスコットランドのメアリ・スチュアートにアプローチをかけ、あわよくばイングランドを狙いにかかるが、これはエリザベス1世に見つかり、メアリは謀反人として処刑される。
こういった個人的な恨みは別として(?)、イギリスは海上進出や裏での海賊支援を行っていたこともあり、スペインとの関係が悪化。スペインは無敵艦隊を差し向けるが、アルマダの戦いで撃破されている。
同時期に配下のネーデルランドも独立運動が激しくなり、これもスペイン凋落の要因の一つになる。ちなみに、これ以降オランダがアジア方面の海洋の主役になる、日本も鎖国下でオランダと取引してましたね。
そんなフェリペ2世の姿がこちら。
ちなみにフェリペ2世は美術への審美眼もすごかったらしい。プラド美術館のコレクションはフェリペ2世と後のフェリペ4世に拠るところが大きいんだとか。
フェリペ4世は駆け出しのベラスケスを重用して、自身の自画像などを描かせた(やはり、しゃくれていますね・・・)。
そして、個人的にも一番感動したのが、こちらの「ラス・メニーナス」。なんというか、すごいですよね、この絵は。自分がこっち側に立ってんのかと分かった時の衝撃たるや。
この絵の解釈はいろいろあるようなので、参考書を読んでみてください。
フェリペ4世も近親婚をしたせいで、なかなか後継ぎに恵まれず、この絵の中心にいるマルガリータが一時は継ぐのかと思われたが、何とか男児(カルロス2世)が誕生した。
ただ、近親婚のし過ぎでカルロス2世はもはや健康状態に明らかに問題あり状態。そして、その予想通り早死してしまう。
これにて、スペインハプスブルク家は終焉し、以後はフランスブルボン家がスペイン王室を仕切っていくことになる。
もちろんスペイン史はその後も続いていくことになるが、個人的に特に面白いなと思ったのは上記説明をした時代。
専門家ではない(かつ受験も日本史選択だった)ので、間違いがあったら優しく見逃してください。笑
今回はクエンカのパラドールでまったりしてしまい、バスの時間がなかなか厳しく行けなかったが、風車の村にも今度は行ってみたい。
ではでは。
MBAの同期から、マドリッドダービー(レアルマドリッドVSアトレチコマドリッドのサッカーの試合)があるから、見に行かないかとお誘いをいただき、今しかない機会だしその場で即決して急遽マドリッド行きが決まった。笑
バルセロナとマドリッド、日本でいうと東京と大阪みたいなものか。大阪に住んでるけどちょっと遊びに東京へといった感じ(飛行機で1時間、電車で2時間半というのも全く同じ)。野球で例えるなら、大阪にいる外国人で普段は阪神ファンだけど、日本にいるんだからジャイアンツの試合も見たいよねーみたいな?
もともとマドリッドとその近郊都市には行きたくて、計画を温めていたので、急ではあったが今回その計画を一部改良して、旅立つことにした。なお、2泊3日。
マドリッドダービー! |
◎マドリッド美術館巡り
マドリッドでは行きたい美術館が3つあった。・プラド美術館 (後述)
・ソフィア王妃芸術センター (ピカソの「ゲルニカ」が有名。ただし写真撮影不可。)
ダリ「窓際の少女」 |
・ティッセン・ボルネミッサ美術館 (ドガの「緑の服の踊り子」やマネの「乗馬服の貴婦人」が有名)
さて特にプラド美術館に関しては、ちょこっとスペイン史とともに、少し説明しておきたい。以下の書籍を読んでみたが、今まで自分の中で断片的にしかなかったハプスブルク家の知識と世界史の知識がカチッと組み合わさる感じがしてとても面白かった。
特にスペイン・ハプスブルク家に関してはほとんど知らなかったので、非常に役に立った。以下、この本で印象に残ったところと、プラド美術館の話を書いていこうと思う。
残念なことにプラドは写真撮影禁止なので、作品に関してはリンクを付けたので、そちらを参照してもらいたい。
参考書→名画で読み解くハプスブルク家12の物語
◎プラド美術館とスペイン史 その1(ファナ・ラ・ロカ)
さてさて、前回の⑪アンダルシア編で、レコンキスタの終結として、カスティーリャの女王イザベルとアラゴンの王子フェルナンドが結婚し、強力な同盟が生まれイスラム勢力をイベリア半島から一掃したと記載した。そのイザベルとフェルナンドの子供が、フアン(男)とファナ(女)。そして、ここに目を付けたハプスブルク家のマクシミリアン1世が、フアンに対して自分の娘マルガレーテを、ファナに対しては自分の息子フィリップをそれぞれ嫁がせた。なんと二重結婚w
ハプスブルク家といえば、言い方は悪いがしゃくれ顔と鷲鼻に特徴がある。これは血の純潔さを極度に求めて、近親結婚ばかりしていた影響といわれている。ただ、ファナの夫になるフィリップは美公と呼ばれるほどイケメンだったらしい。参考画像はこちら。
最初はラブラブ?だった夫妻も、フアンの急死やイザベルの死、さらにはファナの父フェルナンドと夫フィリップの対立、さらには夫婦仲の悪化などでファナは精神を病んでいく。結局ファナはフィリップに先立たれてしまうが、なんと夫の死骸に防腐剤を詰め込み、従者に棺を運ばせて、夫の復活を信じて長期間にわたってスペイン中を徘徊したんだとか・・・そんな時に書かれたのが、「ファナ・ラ・ロカ(狂女ファナ)」である。
◎プラド美術館とスペイン史 その2(カール5世(カルロス1世))
そんなファナの息子がカール5世(カルロス1世)である。カールは母親の精神が不安定なのでハプスブルク家に引き取られて育てられる。カールは成長するに伴い、様々な要職に就きヨーロッパ史上最多70の肩書きを持った。(神聖ローマ皇帝、スペイン王、ハンガリー王などなど)
カールは40年の現役時代、ひたすら戦争に明け暮れたものの、それを維持するだけの体力が国にはあった。というのも、この時代スペインは大航海時代の真っただ中で新たに支配した中南米から莫大な資金調達を行っていたからだ。
ただ最終的には戦争による疲弊等で、自身で引き際を見定め、引退して我が子にその位を譲ることになる。
当時、こういった引退宣言は珍しかったらしい。そういった意味で、カールはある意味、優秀な王だったのかもしれませんね。
そんな、カールの肖像画がこちら。
(ウイーンで撮影)後列真ん中がフィリップ美公、前列真ん中がカール5世) |
(ウイーンで撮影)カール5世 |
◎プラド美術館とスペイン史 その3(フェリペ2世とスペイン黄金時代)
カールの嫡男フェリペ2世が即位したとき、スペインは黄金時代であった。中南米や配下のネーデルランドからの収益に加え、世界中に植民地があり「日の沈まぬ国」(植民地のいずれかは太陽が出ている)と言われた。ちなみにこのフェリペは非常に慎重派で、政務も全部自分一人で行わないと気が済まずにとにかく猛烈に働いたらしい。
しかし絶頂は転落の始まりで、スペインはここから転落し始める。要因の一つ目はイギリスとの関係。フェリペは妻との死別によって何度か結婚を繰り返すが、その中で一度イギリスのエリザベス1世を狙ったことがあった(ただ、振られている)。その後、フランス皇帝の娘やその後のフェリペ3世を出産する女性と結婚するがいずれも死別している。最後はスコットランドのメアリ・スチュアートにアプローチをかけ、あわよくばイングランドを狙いにかかるが、これはエリザベス1世に見つかり、メアリは謀反人として処刑される。
こういった個人的な恨みは別として(?)、イギリスは海上進出や裏での海賊支援を行っていたこともあり、スペインとの関係が悪化。スペインは無敵艦隊を差し向けるが、アルマダの戦いで撃破されている。
同時期に配下のネーデルランドも独立運動が激しくなり、これもスペイン凋落の要因の一つになる。ちなみに、これ以降オランダがアジア方面の海洋の主役になる、日本も鎖国下でオランダと取引してましたね。
そんなフェリペ2世の姿がこちら。
ちなみにフェリペ2世は美術への審美眼もすごかったらしい。プラド美術館のコレクションはフェリペ2世と後のフェリペ4世に拠るところが大きいんだとか。
(ウイーンで撮影)多分フェリペ2世 |
◎プラド美術館とスペイン史 その4(ベラスケス)
フェリペ2世の息子フェリペ3世は平凡のまま大した仕事もせぬまま死去。その後息子がフェリペ4世となって即位した。ただ、この人も「無能王」と揶揄される能力であった。フェリペ4世は駆け出しのベラスケスを重用して、自身の自画像などを描かせた(やはり、しゃくれていますね・・・)。
そして、個人的にも一番感動したのが、こちらの「ラス・メニーナス」。なんというか、すごいですよね、この絵は。自分がこっち側に立ってんのかと分かった時の衝撃たるや。
この絵の解釈はいろいろあるようなので、参考書を読んでみてください。
フェリペ4世も近親婚をしたせいで、なかなか後継ぎに恵まれず、この絵の中心にいるマルガリータが一時は継ぐのかと思われたが、何とか男児(カルロス2世)が誕生した。
ただ、近親婚のし過ぎでカルロス2世はもはや健康状態に明らかに問題あり状態。そして、その予想通り早死してしまう。
これにて、スペインハプスブルク家は終焉し、以後はフランスブルボン家がスペイン王室を仕切っていくことになる。
もちろんスペイン史はその後も続いていくことになるが、個人的に特に面白いなと思ったのは上記説明をした時代。
専門家ではない(かつ受験も日本史選択だった)ので、間違いがあったら優しく見逃してください。笑
(ウイーンで撮影)フェリペ4世 |
(ウイーンで撮影)マルガリータ王女 |
◎魔法にかけられた街:クエンカ
さてさて、旅の方はマドリッドを後にして、崖の上にある魔法にかけられた街クエンカに。この町はもともと水曜どうでしょうでやっていたところから来てみたいと思うようになった。マドリッドから電車で1時間程度、40ユーロ。宿泊したパラドール |
今回はクエンカのパラドールでまったりしてしまい、バスの時間がなかなか厳しく行けなかったが、風車の村にも今度は行ってみたい。
ではでは。