#83 旅行記⑨ (ポーランド編)

ヨーロッパに来たからには必ず行きたいと思っていた場所があった。それはアウシュビッツ、ビルケナウ強制収容所である。

ここだけは絶対に入念に予定を立てていこうと考えており、一度1年目後半に計画をしたが予定が直前過ぎたこともあり断念し、ようやく念願叶っていくことができた。今回はアウシュビッツ博物館初の外国人ガイド、中谷剛さんに直接連絡を取らせていただき、ツアーに参加させていただいた。彼のガイドは非常に素晴らしく、いろいろなことを考えさせられた。
アウシュビッツを訪れる際には中谷さんに連絡を取ることを強く推奨する。アウシュビッツでの感じ方が大きく変わってくる。



また、ポーランドの情報収集はポーランドなびというサイトを参考にさせていただいた。運営者の方はポーランド人の方と国際結婚しておられ、それに関する記事も非常に面白い!

◎今回の旅の概要

結論から言って、ポーランドは私が今まで訪れた国の中で1,2を争うくらい気に入った。理由として、めちゃくちゃ世界遺産がすごいとか、料理がめちゃくちゃ美味しいとか、そういった部分というよりかは、ポーランドの歩んできた歴史の複雑さ、それを乗り越えてきた街並み、人々に非常に温かみを感じた。なんというか、ポーランドの健気さが非常に私の心を打ったといったような感じか。

・地図から消えた国ポーランド

行程の前に簡単に、ポーランドの歴史情報を。ポーランド大国の誕生は966年。その後、勢力を拡大していったものの、徐々に衰退していき周りの強国(ドイツ、ロシア、オーストリア)に圧倒され始める。ついに18世紀末、ポーランドはプロイセン(ドイツ)、ロシア、オーストリアによって分割されてしまい、言語や文化の尊重もないがしろに(ポーランドという国が地図から消える)。そんなポーランドが再度独立するのはなんと1918年つまり、第1次世界大戦後のベルサイユ条約でのこと。(123年間世界地図からポーランドは消えていた)

ただ、安定したのも束の間、今度は1939年にナチスドイツがポーランドに侵攻して第2次世界大戦が勃発。特に抵抗が激しかったワルシャワ(ワルシャワ蜂起など)は徹底的に破壊されてしまう。もともと非常に愛国心が強い人たちなので、ナチスにも必死に抵抗したようだ。
戦後ワルシャワ市民の「ヒビの細部に至るまで完全に復旧してやる」という強い精神と団結心で見事に旧市街地を復元。ついには世界遺産にも登録された。興味深いのが、世界遺産に登録された理由は「破壊からの復元及び維持の人々の営み」(Wikipediaより)が評価された点。もちろんワルシャワの旧市街地は視覚的にも美しい、ただむしろそこよりも、これだけ苦難を乗り越えて復興したポーランド人の心意気に猛烈に感動した。この辺りも、ポーランド人の愛国心の高さと健気さを感じずにはいられない。

・1日目 ヴィエリチカ塩鉱山

実はVueling 航空はポーランド行きがないので、今回はLufthansaを利用して、行きはMunich帰りはFrankfurtで乗り換えクラクフに向かう。日頃LCCに慣れていると、Lufthansaの飲み物と軽食サービスが非常にありがたく、また座席も広いように感じた。

とはいえ、乗り継ぎの関係で到着はお昼過ぎに。今回はクラクフを拠点に3泊するため、荷物の持ち運びは少なくて済む、めっちゃ楽。

ちなみに、鉄道はクラクフ空港ークラクフ中央駅ーヴィエリチカ塩鉱山という線になっているものの、2019年11月現在工事中で本数が50%くらいになっていて、バスでの代行運転が行われている模様。

私は運よく、空港ー中央駅間も中央駅ーヴィエリチカ塩鉱山間も電車の時間がちょうどよかったので、すべて電車で移動することができた。電車での行き方はこちらのサイトを参照。

ヴィエリチカ塩鉱山は世界遺産で混雑も覚悟していたものの、オフシーズンということもあり16時前くらいに到着し、そのまま16時からの英語ツアーに参加することができた。
こういう像も全部岩塩でできてます、壁も舐めるとしょっぱい

坑内にある、なんと塩で造られた教会!

塩で描かれた最後の晩餐

塩の祭壇

塩湖、死海みたいな感じらしい

こちらの鉱山は30人くらいのグループでガイドと行動する必要があり、英語でのツアーであれば30分に1回くらい行われている。注意点として、1時間半くらい結構歩く(階段を800段くらい下っていく、登りはエレベーター)のである程度動きやすい格好でいったほうがいい。特に最初の400段はひたすら螺旋階段を下っていくだけ。笑

終盤の階段。最初の400段はひたすら螺旋階段が続く。

数百キロある坑道のうち、観光客に開示されているのは1%に過ぎないとガイドが言っていたが、それでも相当の規模であった。全容はとんでもないんだろうな・・・と感心。


・2日目 ワルシャワ

2日目は日帰りで首都ワルシャワへ。クラクフから鉄道で約2時間10分。京都観光して、東京に日帰り旅行するような感じか。

駅を降りると、街自体になんというか違和感がある。昔行ったモスクワっぽい感じもするし、道路がやたら広く、どことなく殺風景、これはなんだという感じであった。実はこれも第2次世界大戦の影響のようだ。確かに旧市街地は復旧されたものの、首都としてのワルシャワは戦争による破壊の影響でどうしても殺風景のままのようである。ただ、ここも含めて個人的には好きである。

もっと伝わる写真を撮りたかった・・・


ここでは、ショパンの博物館へ。関係ないが、この旅以来、すっかりショパンにハマってしまい、作業中はひたすらショパンの曲を聴きながらやっている。ワルシャワにはショパンゆかりのものが多く残り、教会にはショパンの心臓が祀られている。


名物のポンチキとホットチョコレート

ワルシャワでは有名なカフェらしい

ショパン博物館

聖十字架教会、ショパンの心臓が祀られる


この街並みを復活させたワルシャワ市民に感動


・3日目 アウシュビッツ、クラクフ

今回の旅のハイライトである。前述のように、アウシュビッツ観光に際しては、公式ガイドの中谷剛さんに個別に連絡をして、ツアーに参加させていただいた。ツアーは9時スタートで概ね12時半ごろに終了する。

当日の朝はクラクフのバスターミナル7時10分のバスで移動をした。所要時間は1時間20分程度(バスの乗車率はおおむね100%、前日の切符購入は必須)。到着後20名ほどのツアーで、基本的に年齢層は若者が中心であった。なんというか、いわゆる海外ツアーのような中高年層と一緒に回るのかと想像していた分、若者中心でかなり良かった。笑
個人的にツアーで変な馴れ合いをしたり、無理に仲良くなったりするのが嫌いなので、ある意味結構ドライ目な若者集団のツアーで居心地はよかった。また、彼らも中谷さんのツアーに個人で申し込むくらいの心意気なので、説明も真剣に聞くし、こういった点でも満足している。

さて、話は逸れたが本題である。はっきり言って、アウシュビッツに行った時の満足度はガイドが中谷さんかそうでないかによって180度変わると思う。説明がわかりやすいのは当然ながら、これを通して何を考える必要があるのか、この先我々はどういったことを考えなくてはならないのかといったところまでのきっかけを与えてくれる

単に、ここの展示はこうでこうで、こっちはこういった場面の写真で・・・なんて言った説明であれば文章を暗記すれば誰にでも出来る(もちろん直接行って、見るという行為自体にも意味はあるが)。そこからのプラスアルファがガイドとしての腕の見せ所であるが、中谷さんのガイドは素晴らしかった

ここは単に過去を知るだけでなく、現在や未来についても考えさせられる場所である。私も自分のこれから、日本のこれからについて、ずいぶんと考えさせられた。これから行く人にはぜひ中谷さんのガイドを申し込むことを強く推奨する。

毒ガスとして用いられたチクロンBの空き缶



ここから先に入ると問答無用で射殺された。後ろの鉄線には高電圧が流されていた。
ビルケナウ収容所の監視塔

敗戦濃厚になってきた大戦終盤ドイツ軍により破壊された毒ガス施設




さて、そんな貴重な体験をした後はクラクフに戻り、市内を観光しつつ、南アフリカMBAの同期もたまたまポーランドにいたので、ピロエギという餃子のようなものを食べ、ポーランド旅行を締めくくった。

クラクフの町はドイツ軍の高官が城を占拠し、執務を行っていた関係で戦争の被害は少ない

ポーランドはまたヨーロッパにいるうちに訪れたいなと思った。次の機会があれば、もう少しゆっくりワルシャワに滞在して、ほかの都市にも行ってみたい。
この旅以降、すっかりポーランドひいきになってしまった。笑


ではでは。

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