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#91 非情なる非常事態宣言 in Spain

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もうここまでか・・・。先週末にスペイン全土に 非常事態宣言 が出され、基本的には外出禁止、店舗の営業もスーパーや薬局を除いて禁止となった。 いよいよ 私の残りのスペイン生活も完全に「詰み」の状態 になり、このままバルセロナにいてもこの軟禁状態がいつまで続くのかわからないため、早々に日本に引き揚げることにした。今週金曜にパリ経由での帰国だが、果たして無事に帰れるのやら・・・。 非常事態であるし、ここではスペインの現状を簡単に書いておこうと思う。 サグラダファミリアも閉鎖中 ◎現状 in Barcelona 冒頭の通り、非常事態宣言が発動され、基本的に不要不急の外出は厳禁。警察官も街に多くみられ、目が合うと職質される。笑 なお、最悪の場合100~60万ユーロの罰金らしい。60万ユーロって・・・。 私も何度か帰国前の必要な外出(銀行、 宅配便 、スーパー)へ出かけたが、普通に職質を受けた。ちなみに、 犬の散歩はOK らしい。さすが愛犬国家スペイン! それと国境が閉鎖され陸路での入国は不可能となった。 EUとしても今後30日間域内への入国は禁止 している(住民が家に帰るケースを除く)。 街は、ゴーストタウン・・・かと思いきや案外自分の家の周りは通常営業であった(浮浪者が多く、治安が悪い地区だからなのか)。とはいえ、店舗は基本的にスーパー、薬局、一部カフェのみが営業している状況で、観光客は皆無である。 スーパーに行ったところ、トイレットペーパーはやはり全部なくなっていた。 ◎アジア人への差別 (←スペインでは99%無いです) 皆無かと言われるとわからないが、 基本的にない 。日本のマスコミは実態も知らずに馬鹿みたいに煽っているようだが、ことスペインに関しては今まで通りみんな優しく接してくれている。やはりスペイン人が好きだ! ただ、ちょっと違和感を感じた部分もある。今日たまたまバルセロナにある ヤマト運輸 に荷物を預けに行ったのだが、その際に マスクを着用 していった。基本的にヨーロッパに来てからマスクをすることはなく、今回初めてマスクをして外出したのだが、いつもとは違う視線を感じた。明らかに良くないものを見るような視線。やはり、この状況下でアジア人がマスクをしてはまずかったか。 今までは、この街に来て偏見や怖い思い

#90 旅行記⑭ (サラエボ、ウイーン編)

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「サラエボ」と聞いたとき、何を思い浮かべるだろうか。今まで私はサラエボと聞いたとき、「絶望的な何か」を思い浮かべていた。ヨーロッパの火薬庫と呼ばれたバルカン半島に位置し、1914年第1次世界大戦のきっかけになったサラエボ事件と、1990年代のユーゴスラビア解体に伴うサラエボ紛争に拠るところが大きいだろう。 歴史を勉強していく中で(もともと日本史が大好き)、1914年のサラエボ事件はもちろん知っていたし、ある意味「現代ヨーロッパの始まりの事件」が発生したこの場所は私の絶対行きたいリストに常に入っていた。 結果から言って、今回の旅行を通してサラエボが、そしてボスニアヘルツェゴビナのことが大好きになった。今まで、ポーランド旅行が自分の中でトップに位置していたが、それに匹敵する良さであった。 人々の優しさや温かさ、歴史への向き合う姿勢、文化の独特さ、驚き、都市としての魅力、おいしい料理、物価の安さ等々、ヨーロッパを散々旅行してきたが、今回のサラエボ旅行は非常に楽しかったし、充実していた。 我ながら秀逸だったのは、帰りのトランジットをウイーンにして、 最後の半日にウイーン観光 ができたこと。これによって、 ハプスブルク家の栄枯盛衰 を鮮烈に感じることができたのもよかった。 1984年冬季オリンピック開催、しかしその数年後には泥沼の紛争勃発 ◎概要 今回はサラエボ中心に2泊3日。サラエボにはバルセロナから直行便がないので、途中ドイツかオーストリアで乗り換えが必要。 ドイツはフランクフルトにせよ、ミュンヘンにせよハブ空港なのでわかるが、意外にもオーストリアから東欧への便が充実しているのが面白い。 ハプスブルク家の支配下であった地域には今でも影響が強い ということなのか。 1日目:バルセロナからミュンヘン経由でサラエボへ。昼過ぎ到着。その後観光。 2日目:サラエボ観光 3日目:早朝便でウイーンへ。ウイーン半日観光。 サラエボ空港から市内まではバスが発着している (地球の歩き方 に記載あり)。こちらは5マルク(大体2マルクが1ユーロ)。 空港はこんな感じ。日本の地方空港と同じくらいの規模感。 しかしバスはあまり頻発には出ていない時間もあるので、その際はタクシーを。早朝、私のホテル(旧市街地、ラテン橋近くの「 ホテルオール